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支援に際しての心がけ [プライバシー擁護]

第二次大戦後、従来道徳を教えていた修身に変り、デモクラシーを小学校で教える事になりました。研修を積まない俄造りの担当教師のせいか、或いは、戦前戦中の団体教育の反動もあってか?プライバシーばかりを極端に重視する偏った個人主義が盛んに説かれ、社会全般を公正な眼で看、弱者をいたわり、公共に尽す教育等は何処かに置き去りにされてしまいました。一部教師の中には、民主主義の原点である万民平等を佩き違え、50mや100mの徒競争でさえ競争心を煽り、個人の能力を曝け出させる事であり、プライバシーを阻害し、基本的人権を蔑にし、差別を生み、万民平等に反すると、本来の「個を認め大切にする思想」に反して、手を携えて同時にテープを切る様な「個人の能力さえ否定する」馬鹿げた教育が行われたとも聞きます。この様な低次元な教育の影響もあってか?国歌や国旗さえも「軍国主義に依る団体教育の象徴」と、ばかりに忌避し、「愛国心など無用」と云った風潮が一世を風靡しました。その結果、自分さえ良ければあとはどうなっても構わないと云った”無責任な利己主義が蔓延ってしまいました。挙げ句に、堂々と他人の正当な権利さえ無視して憚らない利己的な輩が出廻り、偽装商品や賞味期限改竄食品等が市中に流通し、社会問題となりました。確かにプライバシーを護る行為は外的阻害要因から個人の尊厳を護り、人権を護る重要な手段で有るかもしれません。然し、プライバシーを護る事が全てでは有りません。之に優先しなければならぬ事柄など幾らでも存在します。プライバシーを護ると云う行為は、個人の生命や権利や能力や特色を最大限に認め、尊敬する処から自然に発生するもので有ります。個人の能力を矮小化して認めず、人間性を否定する処にプライバシー擁護の思想等生まれる筈が有りません。無限の能力を信じ期待する処から始まる事は私達の仕事(介護や支援)も同様です。其れで無ければ本物では有りません。                     


施設を作り替えるなら [福祉]

 画一的な個室が連なった廊下を見ると、監獄や少年院を連想するのは私だけでしようか?有る時期に建てた。老人ホームや入所施設を訪ねた際、特に其の様に感じます。そして此処に寝泊まりする利用者や家族ははどんな思いで居るだろうと。或る役所で大金かけてトイレやバスまで室内に組み込んだ個室の連なった障碍者用の施設を建設しました。然し、之は無機質で殺風景で暗く冷たい感じで評判がよく有りませんでした。人の温もりを感じる場所に相応しく無いと感じました。此の様に没個性な部屋の並びは過去の遺物です。Saport Sideだけを重視した設計です。確かに行き届いたsaportをするには働きやすい動線を持つ事も大切です。然し、住人の好みに合った個性的な玄関や部屋が良い事は云うまでも有りません。普通の民家やマンションの様な一般家庭の家屋に近い環境の部屋を作っては如何でしょうか?勿論、鍵等は普通の民家と同様に外部との接点だけです。利用者は恰も我が家に居る様な落ち着いた気分になり、本来の姿になれる事でしょう。せめてOFFにはその様な部屋でゆったりと寛ろがせてやりたいと思うのは親心でしょうか?保護者家族も其々の家屋毎に意志の疎通も容易になり、互いに協力し、助け合う形を採り易い様に思えます。牢獄や少年院の様に無機質な収容所タイプの個室連続型に比べて暖かさを感じ訪問時には家族も一緒に寛げるのでは?勿論、急病に備えた個室や重症身用の個室も必要であると思います。                                                             

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「親亡き後」の第3者対抗策を [成年後見人が必要です]

AさんはIT関連企業のプログラマーでした。永年連れ添った奥さんとも別れ、二人居た子の姉は奥さんが引き取り、関西方面に嫁がせました。重い障害を持って生まれた弟(長男)は父のAさんが引き取り、施設に預け生計を立てる事に致しました。忙しい仕事にも拘わらず、施設の行事等には積極的に参加する等大変吾が子を思う心の強い方でした。自身の健康にも気配りをする方でしたが、業務上徹夜になる事も多く、独身と云う事も重なって、気が付いた時には、既に胃癌に侵され手遅れだったそうです。ご自分の亡き後に独り残される長男の事を思い、多額の生命保険にも加入して居ったそうです。ご自身の亡き後の事は全て実兄に託し、息を引き取られたそうです。後を託された兄さんが相続の手続を開始するや、関西方面に嫁がれた姉より、”弟は自分が引き取り面倒を看るので、保険金を含む遺産は全て相続したい”旨の申し出が有り、相続の手続を任されたAさんの実兄は、処理に困り、全てを件の姉に任せる事になさったそうです。処が、全てを任された姉は、面倒を看るどころか、事も有ろうに、弟を引き取るや家に連れて帰りもせず、今迄弟が生活していた場所近くの施設に預けてしまいました。其の後姿も見せず、障害を持った弟さんは、今ではオシメを付けられ、全く変わり果てた姿で生活をしているそうです。亡くなられたお父様もあの世でさぞ悔しい思いをして居られる事でしょう 。                   

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