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豊岡光生園 [福祉]

平成21年光生園夏祭り.JPG皆様いつも大変お世話になります。写真は夏祭りの風景です。今年は、グループホーム6棟を市内に開設し、通所施設「太陽のしづく」定員30名を湊に開設しました。                           光生園の園舎が手狭になり、利用者の生活の質を落とさない様に光生園の定員を40名に減じました。

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福祉の有るべき姿? [福祉]

吾が子と共に生きる為、私財を擲ち、自助、共助の思いで立ち上がった頃とは異り、公助(税)を受け入れる社会福祉法人である以上、地域に密着し地域の為に全力で尽くす事が第一義でなければなりません。
然し、社会福祉法人と雖も公助(税)だけで(吾が子等)利用者に発足当時親達が考えていた生活を約束する事はとても出来ません。利用者が「親亡き後」にも安心して生涯を送る生活システムを完成させるには、更に自助共助の努力を続けて行かなくてはなりません。
900兆にも達する赤字国債を抱え、税収も乏しく、国家予算の略半額を赤字国債に頼る政府は、出来たばかりの障害者自立支援法を廃止しNPOやコミュニテイで支える「新しい公共」による福祉を模索して居ります。増え続ける(年間1兆円以上)社会保障費の一端を民間のコミュニティやボランティア団体に肩代りさせ「財政再建」の一助にとの政策でもありましょう。政府は「無い袖は振れない」とでも云いたいのでしょうが、国家運営に係わる冗費は本当に皆無でしょうか?
自立支援法が廃止になり、支援費の1割負担が、例え無くなっても、以前にも益して自助、共助が要求される社会になる事は必定です。国家デフォルトの危機に際しては、障害者にとっても、支える者にとっても或る意味、止むを得ない事であるかも知れません。築30年を迎えた園舎
吾が子等の「親亡き後」を案じ、其の対策を講ずるコミュニテイに加わり、やがて施設開設に携わり、運営にも協力して来た親達は、何等の具体策も示さない、漠とした「新しい公共」に些か不安な予感を覚えて居ります。ADA法を参考にしての事かも知れませんが、我が国と米国では福祉、宗教、道徳に関わる国民の感覚が異なります。社会や公共についても同様です、慈善事業や寄付行為に対しての考え方も全く異なったものです。此の国では「新しい公共」が受け入れられるとは限りません。否、無理だろうと思います。米国は僅か1%の国民が国全体の資産の99%を占める貧富の差が極端な富める国家です。此の1%の富める国民の宗教心に依る善意が福祉を支えていると云っても過言ではないでしょう。最近の我が国も貧富の差が拡大しつつ有りますが、米国と同様な行為が出来るか如何か甚だ疑問です。現実は遠ざかりつつあります、政権は国民総中流を目指しています。
何等手立ても講ぜぬ侭ずるずると、長期債務残高=国(790兆円)+地方(560兆円)=1350兆円を超え国民一人当たり1080万円にも達してしまいました。財政赤字は世界各国中最高額です。此の儘経過すると、国家が債務不履行、デフォルト(破産)状態になり、夕張市同様になってしまいます。当然、行政の弱者救済は無くなり、公助は皆無です。国民総中流処か総下流ともなり兼ねません。此の様な社会になっても私達親子は生きて行かなければなりません。私達親が、年老いて動けなくなる以前に吾が子等が安心して「生涯を全う出来る支援システムを完成させよう」と願っています。之れは法人を支えて来た亡き親達の魂の叫びでもあります。自立支援法で一時は苦境に立たされましたが、皆様に知恵と力を戴き何とか切り抜ける事が出来ました。然し、今の状態が続く限り、暫くは、苦しい状態を覚悟しなければと思っています。設立時に経験したあの辛酸を再び味わう愚は避けたいとも思っています。



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