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旧園舎は生涯支援を願う親達のモニュメントに [思い出]

築30年を迎えた園舎

吾が子等の為、施設開設を夢見て県内各地から集まった親達は目標に向かい分担して活動を開始致しました。然し、経験の少ない親達が、重度障害の子を抱え、生活を犠牲にして活動するには限度が有りました。そこで、当面の課題を一点に絞り込み、活動のベースとなる社会福祉法人設立に全力を集中する事に致しました。不動産の有る者は其れを担保に、定収入の有るものは連帯保証人となり、設立に要する自己資金作りに取り組みました。そして、専任の担当者を設け、資金は全て1ヵ所にプールし活動致しました。                                                                当時、法人設立を目指し挫折した関係団体は少なくありません、認可は一段と厳しい状況でも有りました。建設予定用地確保も地権者の縁者や近隣の反対が多く県内各地を転々としながらも容易には決りません。長引く程、冗費も掛りました。資金は間もなく底をつき、購入を諦め、借用出来た用地も、地盤が軟弱で造成其の他に思わぬ出費が有り、又もや資金不足に陥ってしまいました。親達からの追加資金の徴収が余儀なくなりました。然し、吾が子等の為に何としても「生活の場」をとの思いは募るばかり、此処まで来ては、もはや夢を断念する事等、到底出来ない状態でした。親達は借金を重ねました。借金塗れになりながら、身を削り、爪に火を灯す思いで、漸く完成したのが「光生園」の園舎です。人型の此の園舎には既に旅立った多くの親達を始め、先の短い年老いた親達の思いが浸み込んでいます。又、長く此処で生活して居る利用者にとっては少年期を過ごした懐かしい故郷の家で有り、母校でも有ります。是非後世に残し、法人設立の為尽された多くの先輩方の苦労を偲ぶモニュメントにしたいものです。                                                                                                                                    中庭で寛ぐ

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薄光会設立前夜 [出会い]

生きる事に精一杯な戦後の街も、朝鮮動乱を期に立ち直り、更にオリンピックを控え、焼土と化した街々にも建設の息吹が起こり、繁栄の兆しが見えて参りました。然し、成功者とそうで無い者の間には神と虫けら程の差があり、人の心に弱者を労わるゆとり等全く感ぜられ無い殺伐とした時代でもありました。漸く入所出来た児童施設を年齢制限で退所させられる重い知的障害者達の行き場など何処にも有りません。止む無く自宅で過ごす事になるのですが、耐えられず命を絶つ親子が後を絶たない時代でもありました。-------------------------------------------------------------------------------                     県北のさる児童入所施設の親の会では会長を始め親達は、退園を前にして”成人した吾が子と共に生きて行ける社会”を目指し、退園後も力を合わせ成人入所施設を作る事を誓い合いました。然し、想いと現実が余りにもかけ離れ、思った様には事が捗らず、仲間も一人減り、二人減りして、やがて思いを叶えるのが困難な状態になってしまいました。重度知的障害者が親子揃って生きて行ける世の中を作るには、僅かな親の力だけではとても不可能な事を実感し、広く県内に同じ思いの親達を集め再チャレンジする事を誓い合うのでした。------------------------------------------------------------                          

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