当事者が運営する新しい公共 [新しい公共]
在職中に次男が高熱により重度知的障害になりました。当時(30数年前)は障害者の入所支援施設等殆ど無い状態で、生活費を得る為の職業の継続と家庭での重度障害者養育の両立が困難で、子供を道ずれに命を絶つ者が後を絶たない時代でもありました。
何とかしなければと焦りましたが、とても、独力で解決出来る様な問題ではありませんでした。
その様な折、同じ問題で悩み、既に行動を起こしている親達が居る事を知り、連絡を取りました。入所中の子が成年に達し、緊急に児童施設の退所を迫られている子を抱えた彼等の悩みはより深刻でした。行政任せの他力本願では何時まで待っても解決出来そうも有りません。”先ず当事者である自分達が汗を流し、出来る事から始めよう”と頑張って居りました。
然し、僅かな人数では世間もなかなか認めてくれず、想いを貫徹できる基礎さえ作る訳にも参りませんでした。
其処で、同じ問題に悩む多くの親達が同時に立ち上がれば少しは大きな力になるだろうと、広く県内の親達に呼びかけ、メディアにも訴え続けて参りました。
紆余曲折の末、漸く世間にも同調者が現れ始め、多くの方に認めて頂き、社会福祉法人を立ち上げる事が出来ました。そして、行政や支援団体の援助を戴き、入所施設を開設する迄の運びとなりました。