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念願の親亡き後の障碍者施設が完成 [福祉]

 施設の皆様、お陰で吾が子も今月末には満四十九歳、壮年の誕生日を迎える事が出来ます。思い起こせば彼が施設に入園したのは、昭和六〇年、旧園舎の増築と同時でまだ新制中学を終えたばかりの若干十五歳の時でした。園舎は当時としてはとてもモダンな建物で、私共保護者にとっても大変自慢の建物でした。・・・然し、彼は一旦帰宅して園に帰る度、決まって駐車場の自家用車の中で両足を踏ん張り、園舎に入るのを拒み続け、園長や先生方を散々てこずらせて居たものでした。・・・

 

光陰矢の如しとは申しますが、時の経つのは速いもの、あれからはや三十数年が過ぎ、障害者自立支援法を始め障碍者や保護者に係る諸々の法律が制定、或いは改定され、成年後見人制度も加わり、碍者と保護者に係る社会環境が急変致しました。障害を持つ子と其の親達が生きて行く上で社会環境が此の様に変化した事は嘗て経験した事が御座居ません。

 

時を同じくして、法人設立以前より此の会を殆ど独りで切り盛りし、会員も亦、彼を信じ頼りにして居た、法人の2代目理事長を突如、癌で失い、私共保護者は現状に何等対応する事すら叶わず、唯々呆然と成り行きを見守るだけが精一杯でした。・・・

 

其の様な折、さ迷える此の親子等に手を差し伸べ助けてくれたのは、施設に在職して居られた幹部職員の皆様方でした。昼夜に亘り血の滲むような努力を重ね、次々に現れる環境の変化を見事に克服し、法人を以前にも益して盤石な姿に変える事に成功してくれました。

 

お陰で、此の法人及び施設は現在も存在する事が出来ています。其の上、永年の使用に耐えて来た旧園舎も新法に沿った生活をして行くには多少不向な箇所が見受けられる様になり、取り壊し、新しい生活様式にマッチした姿に建て替えました。お陰で吾が子は、自宅よりも施設の方が余程住み心地が良いらしく、帰宅しても自宅では落ち着かず、早々に帰園したい様子です。・・・ 

現在では、吾が子の後見をNPO法人の成年後見人に託し、生活の場は施設にお願いし安心して利用させて戴いて居ります。・・・間も無く米寿を迎える齢となり、自身も数年前より体調が余り芳しく無く、其の上に難聴を煩い世情にも疎くなり、世間の騒音等何も聴き取れぬ身に成り果てました。・・・

障害を持つ子の親達が年老いてやがて迎える、此の様な身体上の変化にも思いを馳せ、法人設立を急ぎ、互いに激励し合い頑張って参りました諸先輩方の待つ彼岸へと心残す事無く旅立つ事も叶いそうです。・・・現在の此の様な姿こそ、私共障碍を持つ子の親達が望んでいた姿で有り喜びでも有ります。

法人幹部職員皆様の之迄のご苦労及びご厚情に心から感謝申し上げると同時に、之からも親子共々宜しくお願い申し上げるもので御座います。 

 

最近、厄介なウイルスが全世界に蔓延し、障碍者や老人介護施設の運営は特に大変な時と存じます。之からも「此の法人と施設」及び「NPO法人・成年後見人」が永続して存在し、地域のお役に立てます様、心から祈念致して居ります。

尚、人類の歴史は感染症との戦いの歴史とも言われて居ります・新設の建物は施設長の提案もあり、感染症対策として8ユニット40名の定員で設計され、1ユニットに就き定員5~6名で設計され、個室は全てベッドを使用しています。

        ユニット内談話室厨房                  ユニット個室内ベット


   談話室   ベットルーム

   ユニット内バスタブ         個室に繋がるユニット内廊下           

 ユニットのバスタブ  個室の廊下

 

    ユニットの外観            共用部分外観・プレイルーム・会議室・事務室等

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福祉事業所(懇親会) [福祉]

昨日、薄光会の法人と事業所職員の懇親会に参加して参りました。参加者は150名位でしたが若さ溢れる楽しい有意義な懇親会でした。最後に10年、20年の勤続者表彰も有りました。現在では、此の皆さんが中心となって各事業所を支えています。1979年に最初の施設豊岡光生園を開設して以来「特養三芳光陽園」、「鴨川ひかり学園」、「湊光学園」、グループホームCOCO、「太陽のしずく」等々を開設して参りましたが、今では利用者をはじめ法人の役員、従業員も大半が地元の方で地域に密着した事業所として事業展開を進めています。DSC00013 (3).JPGDSC00004 (3).JPG




地元の事業所として [福祉]

619日薄光会の親睦会及び永年勤続者並びに高齢勤務者の表彰式に伺った。会場は南房総の金谷港のフィッシュと云うレストランでした。金谷港は神奈川県の久里浜港を往復する東京湾フェリーの発着港でも有り背後に鋸山を控えた南総房第一の景勝地でも有ります。
pm700に始まった永年勤続表彰式はステージが大勢の被表彰者で賑わっていました。
此の地に来て30数年が経ち事業所の数も両手の指に余る程になりました。其々の新しい施設長がユーモアを交え被表彰者を紹介しとても和やかな雰囲気でした。表彰をする者も受ける者もみんな地元の人で地訛の会話が弾み、此の地に根を下ろし溶け込みながら少しずつ事業を展開して来た先輩達の姿が懐かしく瞼に浮かびました。之からは完全に地元の事業所として、少しずつ地元の役にたつ様になってくれる事を期待しています。
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個々の生き方を重視する設計 [福祉]

昭和51年に障害者の親達が我が子の将来を思い、社会福祉法人を立ち上げ、苦労をして建てた施設は、当時としては比較的新しい設計の園舎でした。然し、築後30数年を経た現在では利用者の生活様式もすっかり変り、使い難い代物になっていました。以前から改築改造をと考えて居りましたが、支援法の制改訂等々に阻まれ、思う様に計画が捗らず悩んで居りました。処が最近になって関連法令の目まぐるしい変化も漸く落ちつい来た様で、再度皆様のご支援を戴き、斬新な設計の下、地元建設会社の協力を戴き、漸く竣工する運びとなりました。昨日、昼食を兼ねた、竣工祝賀会が行われ、家内と共に次男に面会し、一緒に昼食会に参加し楽しいひと時を過ごす事が出来ました。傘寿を過ぎた今、念願の竣工を祝う集まりに参加する事が出来、心より喜んで居ります。御支援下された皆様本当に有難う御座いました。心より感謝申し上げます。

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親達と職員が協力して施設の運営 [福祉]

子供達の処遇や「親亡き後」の問題など、職員を交え真剣に討議を重ねながら必要に応じ対策を講じて参りました。利用者の「生涯支援」についても真剣に討議を重ねました。

子供達が歳を重ね成人施設での生活が儘ならなくなり、老人施設に入る頃には親は亡く、其の時になって困らぬ様にと資金を出し合い、「生涯支援」を目指して特別養護老人ホームを、更には地域との交流を深め同じ思いの地域の障害を持つ子と家族の幸せを願って通所施設の建設を計画し実行して参りました。


施設を作り替えるなら [福祉]

 画一的な個室が連なった廊下を見ると、監獄や少年院を連想するのは私だけでしようか?有る時期に建てた。老人ホームや入所施設を訪ねた際、特に其の様に感じます。そして此処に寝泊まりする利用者や家族ははどんな思いで居るだろうと。或る役所で大金かけてトイレやバスまで室内に組み込んだ個室の連なった障碍者用の施設を建設しました。然し、之は無機質で殺風景で暗く冷たい感じで評判がよく有りませんでした。人の温もりを感じる場所に相応しく無いと感じました。此の様に没個性な部屋の並びは過去の遺物です。Saport Sideだけを重視した設計です。確かに行き届いたsaportをするには働きやすい動線を持つ事も大切です。然し、住人の好みに合った個性的な玄関や部屋が良い事は云うまでも有りません。普通の民家やマンションの様な一般家庭の家屋に近い環境の部屋を作っては如何でしょうか?勿論、鍵等は普通の民家と同様に外部との接点だけです。利用者は恰も我が家に居る様な落ち着いた気分になり、本来の姿になれる事でしょう。せめてOFFにはその様な部屋でゆったりと寛ろがせてやりたいと思うのは親心でしょうか?保護者家族も其々の家屋毎に意志の疎通も容易になり、互いに協力し、助け合う形を採り易い様に思えます。牢獄や少年院の様に無機質な収容所タイプの個室連続型に比べて暖かさを感じ訪問時には家族も一緒に寛げるのでは?勿論、急病に備えた個室や重症身用の個室も必要であると思います。                                                             

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豊岡光生園 [福祉]

平成21年光生園夏祭り.JPG皆様いつも大変お世話になります。写真は夏祭りの風景です。今年は、グループホーム6棟を市内に開設し、通所施設「太陽のしづく」定員30名を湊に開設しました。                           光生園の園舎が手狭になり、利用者の生活の質を落とさない様に光生園の定員を40名に減じました。

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福祉の有るべき姿? [福祉]

吾が子と共に生きる為、私財を擲ち、自助、共助の思いで立ち上がった頃とは異り、公助(税)を受け入れる社会福祉法人である以上、地域に密着し地域の為に全力で尽くす事が第一義でなければなりません。
然し、社会福祉法人と雖も公助(税)だけで(吾が子等)利用者に発足当時親達が考えていた生活を約束する事はとても出来ません。利用者が「親亡き後」にも安心して生涯を送る生活システムを完成させるには、更に自助共助の努力を続けて行かなくてはなりません。
900兆にも達する赤字国債を抱え、税収も乏しく、国家予算の略半額を赤字国債に頼る政府は、出来たばかりの障害者自立支援法を廃止しNPOやコミュニテイで支える「新しい公共」による福祉を模索して居ります。増え続ける(年間1兆円以上)社会保障費の一端を民間のコミュニティやボランティア団体に肩代りさせ「財政再建」の一助にとの政策でもありましょう。政府は「無い袖は振れない」とでも云いたいのでしょうが、国家運営に係わる冗費は本当に皆無でしょうか?
自立支援法が廃止になり、支援費の1割負担が、例え無くなっても、以前にも益して自助、共助が要求される社会になる事は必定です。国家デフォルトの危機に際しては、障害者にとっても、支える者にとっても或る意味、止むを得ない事であるかも知れません。築30年を迎えた園舎
吾が子等の「親亡き後」を案じ、其の対策を講ずるコミュニテイに加わり、やがて施設開設に携わり、運営にも協力して来た親達は、何等の具体策も示さない、漠とした「新しい公共」に些か不安な予感を覚えて居ります。ADA法を参考にしての事かも知れませんが、我が国と米国では福祉、宗教、道徳に関わる国民の感覚が異なります。社会や公共についても同様です、慈善事業や寄付行為に対しての考え方も全く異なったものです。此の国では「新しい公共」が受け入れられるとは限りません。否、無理だろうと思います。米国は僅か1%の国民が国全体の資産の99%を占める貧富の差が極端な富める国家です。此の1%の富める国民の宗教心に依る善意が福祉を支えていると云っても過言ではないでしょう。最近の我が国も貧富の差が拡大しつつ有りますが、米国と同様な行為が出来るか如何か甚だ疑問です。現実は遠ざかりつつあります、政権は国民総中流を目指しています。
何等手立ても講ぜぬ侭ずるずると、長期債務残高=国(790兆円)+地方(560兆円)=1350兆円を超え国民一人当たり1080万円にも達してしまいました。財政赤字は世界各国中最高額です。此の儘経過すると、国家が債務不履行、デフォルト(破産)状態になり、夕張市同様になってしまいます。当然、行政の弱者救済は無くなり、公助は皆無です。国民総中流処か総下流ともなり兼ねません。此の様な社会になっても私達親子は生きて行かなければなりません。私達親が、年老いて動けなくなる以前に吾が子等が安心して「生涯を全う出来る支援システムを完成させよう」と願っています。之れは法人を支えて来た亡き親達の魂の叫びでもあります。自立支援法で一時は苦境に立たされましたが、皆様に知恵と力を戴き何とか切り抜ける事が出来ました。然し、今の状態が続く限り、暫くは、苦しい状態を覚悟しなければと思っています。設立時に経験したあの辛酸を再び味わう愚は避けたいとも思っています。


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